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住職のつぶやき

掲示板のことば 「恵みのあめ」 梅雨の季節を前に思うこと

こんにちは。6月になり、そろそろ梅雨の季節が近づいてきました。

梅雨の季節というと雨が多くて、「じめじめして、うっとうしい」とか、着ている服や持ち物が濡れてしまい「いやだ」など、どちらかというとマイナスの印象を持つ事が多いのではないでしょうか。

私も何か行事を開催する時に、晴れた場合は「天気に恵まれ」と感じたり、雨なら「あいにくの天気で」と思ってしまいがちです。

しかし、子供の頃は、私が苦手な体育の授業が雨に中止になると喜んだり、雨が降って欲しいと思う時もしばしばありました。

これらの事を改めて考えてみますと、自分の都合によって「雨」というものを、良いものにも悪いものにも決めてしまっているという事に気付かされます。

雨というものは、「今日は降らないで欲しい」「明日は降って欲しい」と望んでも降る時は降りますし、降らない時は降りません。

人生に於いても、自分の望まない事も必ず起きてきます。そのような自分の思い通りにならない時に、文句を言ってしまうか、世の中には自分のどうにもならない事もあるから仕方ないと受け止めていくかによって、私たちの生き方は、変わってくると思います。

 

お釈迦様は、「一切皆苦」(いっさいかいく)という事を説かれました。

これは、「すべてのものは苦しみである」つまり「私たちの世界は、思い通りにいかないことばかりなのですよ」という事をおっしゃっています。

ですから、私たちがいくらお祈りしても、願っても、思い通りにならない事は、必ず起こってくるもので、それらの事は避けられないものと受け止めていく事が大事なのではないでしょうか。

雨の日なら、普段、使かわないレインコートを着て出かけてみたり、室内でゆっくり過ごし、疲れた身体を休ませたり、雨の日にしかできない事を自分で見つけて有意義に過ごす事もできると思います。

仏教は、雨が降らないようにしてくれる教えではなく、自分の思い通りにいかない事が起きた事などを含め、現実に目を背けず、きちんと受け止め、その事をどのように活かしていくかを教えてくれるものです。

雨というものを「あいにくの雨」とするのではなく、「恵みの雨」というふうに気づけるような生き方をしていくよう心掛けます。

合掌

住職